Nikita

ブログ名は適当です。単なる日記なのでニキータと呼ぶことにします。

知人の自殺。

 こんな気持ちをブログに吐き出しても意味がないのだけど、知人が自殺を試みたという情報に触れた。特別に親しかったわけでもないので、どうしてそうなったのか、今の状況も全然わからない。でも頭の中は真っ白になった。単なる知人でもものすごいショックを受けたので、今回はメンタルヘルスについてちょっとだけ書く。

  死にたいほど悩んだり、死にたいほど苦しんだりすることは、多くの人が人生で何度かあると思う。もちろん自分もあったし、これからもあるかもしれない。逆に、今思い出しても本当に死にたいほど悩んだり苦しんだりしたことしか、悩みや苦しみは思い出せないといってもいいくらいかもしれない。つまり他の悩みや苦しみって本当にもう覚えていないくらいささいなレベル。自分の場合は2回あって一回目は本当に自分のアイデンティティについて悩んだのと、二回目は社会人になって仕事とプライベートが全くうまくいかなくなった時だった。

 ラッキーなことに、一回目は担当教官が、二回目は会社の先輩が助けてくれたので今に至るのだけど、両方に共通することは、まず根本的に悩みの原因となる事象が自分の場合は結構はっきりしていたこと。漠然と、死にたい、なんて思わなかった。「あーーーーっ、どうしよう、どうしよう」とばっかり考えても、悪いことしか思いつかず、片時も忘れることなく同じことばかりを考えてしまっていた(こういう思考を「反芻(はんすう)思考」というらしい)。

 そうこうしていると、これも両方に共通することだけど、自分の場合、風呂に入って髪を洗っているのに「あれ?髪の毛洗ったっけ?」というふうに直前の行動を忘れたり(正確に言うと、ずっと悩みについて考えているので、行動を意識していないのだと思う)、よくあるカギをかけたか何回も確認することや、水道の蛇口が壊れるほど強くひねって水が出ないようにしたりだとか、確認衝動にものすごく駆られた(これは、強迫性障害の確認行動)。また、掃除ももちろんできないし、ご飯も食べないし、ずっとひたすら寝てるだけという状態だった。学校や仕事がある日はとにかく風呂には入って行ってたけど、夏休みが一番ひどかった。夏の暑い中、1週間もお風呂に入れず、ただベッドで泣きながら寝ているだけで、夜中にコンビニで食料を調達してたし、髪の毛とか服とかの清潔さも保ててなかったと思う。もちろん部屋も(参照:セルフネグレクト)。本当に、自分に価値がないと感じていたし、将来の展望も全くなかったし、このブログで時々書いている自己肯定感なんて本当にゼロ。自分の短所だったら100個言えるってくらい自分に対して厳しかった。

 ここまで書いていて、自分でもぞっとしたけど、死にたいほど悩んだり苦しんでるときは基本的にメンタルヘルスの問題であるということだと思う。ちなみに、上記の状態でも、学校や職場ではできるだけ普通にふるまおうとするからか、またそういう人にかかわりたくないからか、多くの周りの人には気づかれていなかったと思う(気が付いてくれたのが、先生と先輩)。結局2回とも上記のような症状が出てから数か月たって心療内科に行って、薬を処方してもらったら本当に楽になった気がする。結局、脳の神経細胞ドーパミンとかセロトニン)の動きが鈍化して引き起こされるのだから、そういうところを薬で正常にすればいいだけ。

 でも、最初は心療内科にいくのは、とてもハードルが高かったのを覚えている。もちろん偏見もあったし、学生時代は初めての経験だったし、社会人になったら健康保険を使ったら会社にばれるんじゃ、、、とかいろいろ考えてしまってたから(今考えたり調べたりしてもとそんなことありえないんだけど)。行ったら変な先生もいたけどおおむね楽になる。十年以上たった今では、「あー、なんであんな無駄な時間過ごしてたんだろう」と振り返ることが多い。もうほとんどスラムダンク三井寿の気分。

 メンタルヘルスを健康に保つっていうのは、何を差し置いても重要。というのは、メンタルが崩れると体のケアももちろんできないし、幸せを感じることもできない。自分の場合、メンタルヘルスのチェックは、『歯磨きがめんどくさいかどうか』でチェックしてる。歯磨きレベルでめんどくささを感じるというのは、かなり疲れてるんだなというサインだと思う。いつもは簡単にやってるのに、なんかめんどくさい、なんだかやれない。そうなったときは、思い切って休むか、ストレッサー(ストレス要因)から距離をとる必要がある。例えば反芻思考に苦しめられるのであれば、緑の中をぼーっと歩くことでも小さな効果があるといわれているし、とにかく寝まくる(寝てる間は考えないので)というのも手だと思う。それぞれ自分のメンタルヘルスの指標を知っておくべきだと思う。

 今回の知人の自殺については、何が原因かはわからないのだけど、何かに悩んだり苦しんだりして命を絶とうとする前に、正確には真剣に悩む前に距離を置くべきだと思う。その悩みが仕事ならなおのこと。ここでいう仕事は、業務自体もそうだけど職場の人間関係もそうだ。職場の人間関係に悩んで、仕事を去ったり、自分を傷つけたりする人も多いけど、自分が犠牲になる必要はないし、助けを求めれば、職場にも職場以外にも助けてくれる人はたくさんいると思う。どうして、そういう選択肢をとらなかったんだろう、と後になっていう人たちはたくさんいると思うけど、渦中の人間は、そういう選択肢が思いつかないしとれないんだと思う。だから、そうなる前に選択肢の存在(心療内科に行くとか、職場以外に悩みを聞いてくれる人を用意しておくとか)を知っておかないといけない。風邪をひいたときは、風邪薬を飲むとか、腹を下したら正露丸を飲むとかいうレベルで。

 仕事は単なる仕事であって、かけがえのないのはその人自身で、仕事はぶっちゃけて言うといくらでも代わりがある。苦しくなったらやめればいいし、代打を頼めばいいし、解決への選択肢は無限にある。人生で一番大事なのは自分の体だし、自分の健康だし、自分の幸せだし、その次に愛する人だし、その次にはお金かな。

 よくわからないまとめになるのだけど、健康なメンタルを維持しつつ、自分にお金かけて、人生を楽しむというのがとても大事なのであって、悩んだり苦しんだりすることが人生じゃないと思う。若いころ言われていた「若い時の苦労は買ってでもしろ」というのは一番嫌いな言葉。苦労なんて勝手までするものではなくて、頭を使って避けるものだし、頭を使わなくても避けるべきものだと思う。人生楽に楽しく生きるのが一番幸せだし、そういう人の場合、周りの人も幸せになると思う。

 

 一命はとりとめたらしい。よかった。

 

おしまい。